エンパテさんが止まると私も止まるようです

タイトルと本題は関係ありませんが、率直な心境および現状報告です。まいいや。あと、便宜上カテゴリがハマーズですが、ウェストハムの話は一切ないです。ああでもランパードがからんでるから、そのぶんはハムサポの方にも楽しんでもらえるかも。
encyclopector さんの更新を読んで、ひさしぶりに昔話モードが刺激されたので、入れさせていただいたコメントの補足的に書いてみます。こっそりと。ていうか、初稿時のミス&悪文度が大きすぎてすみません(20時台に読んでくださった方へ……いや21時30分くらいまでおかしかった。ちなみに最終稿は0時前)。
ちなみに、守備専パーカーはやだなあと思う私でも、代表でバットの役割ができるのはパーカーだと昔からさんざ書いてたし、ずっと思ってました(主にタックル馬鹿的適性から)。……とか書くと、ある意味なんだか新城二年目がせつなくて、これはこれで複雑なのかも。バットが戻ってこなければ、パーカーはずっとニューカッスルの守備専でヒーローで、かつキャプテンだったのかなあとかね。まあバットがビッグ・サムにパーカーの放出を進言したって噂のあったことも考えると、やっぱキャラというか、プレイヤーとしての適性は被るんだろうなあと。

        • -

パーカーがチェルシーに移籍した当時のラニエリによるパーカー評は「ランパードに似た選手」でした。でも、モウリーニョは就任した直後に、パーカーを「マケレレのバックアッパー」だと明確に位置づけた。つまり、ランパードとは競わせないという意思表示です。もちろん、これはランパードに向けてのアナウンスでもあったはず。
つまり、ラニエリがパーカーを獲得した当時はまだ、あくまでパーカーの競争相手はランパード*1だったんですね。おそらくラニエリにも、そういう認識はあったんでしょう。でないと、パーカーがチェルシー移籍に同意するはずもないかなと……でなければ、そもそも移籍の意味がない。
当時のパーカーはなにより、イングランド代表の召集をほしがっていたんです。端的にいうと、チェルシー移籍は代表召集へ挑戦した移籍だった。だからこそ、ライバルもまたランパードなんです*2。彼自身、ランパードより年の若いことには可能性を感じていただろうし、かなわないにしても、挑戦した以上、悔いは残らない。だから全力で挑戦したい……まあ、ランパードの名前こそ明言しないにしても、若パーカーはそういう話もしてました。
でも、半年後にラニエリは去り、モウリーニョがやってきた。で、お前は“マケレレ”のバックアッパーだと宣告された。パーカーにしてみれば当然、おいちょっと待て、となるわけです。
ランパードモウリーニョに心酔していて、パーカーがモウリーニョへまっさきに直談判していることが*3、はっきりと象徴してると思うんですが、つまり、モウリーニョが就任早々一番にやったことは、ランパードアンタッチャブル化だったんですね。これはキャプテンに指名されたテリー*4もそうだったけど……だからこのふたりはモウリーニョ信者になっていったし、一方のパーカーは完全にしらけた*5
これは正直パーカーにとって、想定外のことだったと思うのね。ラニエリだったら、こういう扱いはなかった(と彼自身は考えていただろう)から、やっぱり不運だったなあと。少なくとも私は、パーカーのチェルシー移籍失敗はラニエリの非ではないと評価しています。あくまで、モウリーニョランパードとテリーのアンタッチャブルを確約したことにはじまったなと*6
もちろん、この「イングランド人の中心選手をふたり立てる」策*7は大成功したわけです。だから、モウリーニョは監督として正しい判断をしたと思う。これはこれですばらしいと私は考えています。そして、テリーとランパードは持っていた才能を覚醒させることができた。結果、イングランドに超優秀な選手がふたりも生まれた。それももちろん、すばらしいことです。
まあ、パーカーには運がなかったなという、そういう昔話です。せめて私ぐらいは、書いておいてあげないとね。

        • -

ニューカッスルで支持を得たのも、たしかに守備専パーカーだったけど、どっちかというと「守備専じゃないのに激しいタックルも持ってる」ところにものすごい魅力があったから、やっぱり私は複雑なんです。

*1:くどいけど当時はまだ覚醒前です。

*2:あくまでくどいけど、ランパードにも一代表候補の時代があったんです。で、パーカーにもすごい時代があったんです。ちなみにこのシーズン後にユーロ2004が控えてました……思えばランパードのブレイクは、ここから始まったんでした。というわけで、パーカー移籍時の気分は、その前の段階をイメージしてもらえると伝わるかも。

*3:記憶が正しければ、モウリーニョへ最初に異議を申し立てた選手だったはずです。といっても、感情的なやつじゃなくて、ちゃんとした話し合いレベルで。

*4:彼の場合、才能の開花に関しては、デザイーが去ったことも大きかったんだよね……デザイーと組んでたころのテリーは、遠慮もあったのかもだけど、ぶっちゃけ穴だった。ある意味ブランブル的だったというか。テリー自身、デザイーが去って自分のプレイができるようになったと話していたし。

*5:ただ、出た試合はマケレレ役をきっちりやってたと思います。そのへんのプロ意識はある。でもまあ、カップ戦要員だったよね……カーリングカップで当たったニューカッスルのスーネスが、パーカー@チェルシーの試合ぶりを激賞してたのも懐かしい……パーカーの試合前スピーチがすばらしかったという、あの試合です。

*6:パーカーの怒りは「マケレレアンタッチャブル」にあったんじゃないかと言う人もいそうだけど(特に今日の守備専的認知度からみると)、ニューカッスル移籍時のコメントでパーカーが「モウリーニョは(パーカーの)本来のプレイスタイルを知らないんじゃないか」と明言したことを考えると、そもそもの守備専限定評価にカチンと来た部分があったのは間違いないかなと。

*7:あえてランパードとテリーを並べて書いてますが、これは、テリーかランパードのひとりだけがアンタッチャブル扱いにされていたのでは、うまく回らなかった策だと思うからです。このへんもモウリーニョはうまかったと思う。