名選手、名監督に非ずってのはこの辺を指すんだと思うのよ

時間ないんだけど、並びで入ってたんでついでに。これ、ちょっと気になったのね。

たるんどる
ロイ・キーン・コーチがヒギンボサン、リチャードソン、チョプラ、マーフィら主力をチェルスキー戦から外した理由は、練習態度だった模様。


ロイ・キーン・コーチ
「私は他人の評判では選手を査定しない。トレーニング場でどれだけ全力を尽くしているかが全てだ。トップクラスの選手、例えばランパードのような者だが、彼が適当な練習をやっていて、本番であんなプレーが出来ると思うか?ジダンの練習量は人並み外れている。こう言っていたのはユナイテッドのフランス人たちだ。彼らスーパースターが弛まぬ努力を傾けているのに、なんで平均程度の者が楽なんてできるんだ。おかしいんだよ、それは」

すごいいいこと言ってるなあという側面ももちろんあるんだけど、彼にひとつツッコみたいのは、スーパースターが努力を傾けてるんじゃなくて、努力を傾けられる人間だからスーパースターになれたんだよ、ということです。それは限られた人だけの特殊な能力なんだと。並の選手と一流の選手の違いって、結局はそこだもん。
もちろん、ロイ・キーンだってあれだけの選手だったから、ものすごい努力や根性の世界があったと思うのよ。彼の中に。だからこういうことを言っちゃう。ただ、一流選手って、普通の選手の精一杯を、それが精一杯なんだってわからない部分もあるんです。もっとできると思っちゃう。期待してしまう。自分がやってきたから。でも、無理なんですよ。努力できる才能って、誰もが持っているわけじゃない。
この伝わらない感って、100メートルを10秒で走る人が、どんなに一生懸命走っても12秒かかる人に向かって「もっと足を早く出せばいいんだ」といっても、果たして伝わるかどうかってことなのね。たぶん、理解してもらえないんです。
一流選手ほど孤独だってのは、そういう部分だと思う。まあでも、いいことを言ってるなとは思ったよ。それだけに、孤独だなあって。もう少し書きたかったんだけど、遅刻しそうなのでもう家を出ます。

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帰ってきました。今読むとなんか私、やたら話を大きくとらえてる感じしますね。あいたた。ロイ様の態度になんらかの共感を託したがっているというか。まいいや。
本当はたぶん、ふつうにちんたらやってたのにキレたんだと思いますよ。さすがに。でもまあ、一方では「俺にできたことがなぜお前らにできん」的な側面もどこかにはあるかなと思うのね。だって、要求レベル高そうだもの。まあ、ロイ様に共感していうなら、なあなあで楽しくやろうぜ、ってムードでサラリーマン選手をやってんじゃ、絶対に強くはなれないよということです。それ以前に、強くなりたいと思ってるかどうかが最初の分岐点だけど。
そんなことよりむしろ、ロイ・キーンの前で手を抜けたってのが、ある意味すごいよね。逆にいうと、チームの中ではそういう存在になってしまってるのかなあとか。実際のところ、どうなんだろう。教えて、ぽっちゃり君。